1 Corinthians 15:3-4
まず私は最も大切なこととして、かつて自分も知らされた、次のことを伝えました。すなわち、キリストは、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、 葬られたこと、そして預言者たちの語ったとおりに、三日目に復活されたことです。
これは第一コリント15 :3-4に記されている文ですが、何かわからないことはありますか?つまり、キリストが私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目に復活したことが最も大切だと筆者は述べているのです。日本語が読める方なら、そう難しい内容ではないですよね?もし読者がわからないとすれば、おそらくそれは知的ではなく、霊的な理解の問題でしょう。言い換えると、あなたがこれを心から信じることができるか、できないかの話だと言えます。そしておそらくあなたは、現時点では、まだこのことを完全に信じ切れてはいませんよね?
「罪」と「あなた」
ではあなたの霊的な理解をより深めるために、もう少し内容を分解して説明していきます。さてキリストが私たちの罪のために死なれたという箇所ですが、おそらくこれを理解するためには、一度あなた自身が今も抱えている罪について改めて考える必要があるでしょう。一般的に「罪」というと、何か社会的に悪い行為をした場合などに用いられる表現ですが、ここでいう「罪」はそれとは異なります。ここで言及しているのは、本質的な内容なのです。例えばあなたの身の回りで、嫌な人がいるとします。そしてあなたはその人のことがいつも気に入らず、会う度に何だか怒りにも似た、苦々しい感情等を抱いてしまうとしましょう。そして神の言葉で「隣人を自分自身を愛するようにしなさい」と明確に聖書の中であります。このように、あなたが抱いている感情等と神の言葉を照らし合わせた時、どうでしょうか?
言い方を換えると「罪」とは、神の言葉に反して自分勝手な思いを抱いてしまうことです。つまり、あなたが気に入らず誰かに嫌な感情を抱くこと自体が、すでに罪だと言えるのです。ということは、自分も含めて、人間はみな毎日神様に対して罪を犯して生きている訳ですね。それともあなたは、日々全く誰にも嫌な感情を抱くことのない、真の聖者なのでしょうか?